【ZARD・坂井泉水(蒲池幸子)】突然の訃報から8年、謎の原因とは

今の20代以上で知らない人はいないであろう、音楽グループ「ZARD」。

ボーカルである坂井泉水さんは2007年5月27日、突然亡くなったことで世間は衝撃を受けました。

 

目次

 

 

数々のヒット曲をリリースしたZARD

「負けないで」、「揺れる想い」、「マイ フレンド」など、20年以上経っている今でもカラオケで歌われているほど名曲です。

1991年のデビューから、亡くなった2007年までにCDやDVDの総売り上げがなんと「3,600万枚」を超えていたそうです。

 

 

容姿端麗で学生時代から人気だった

坂井泉水さんの高校時代の親友によると、校内のミスコンで優勝し、他校の男子生徒がのぞきにくるほどの人気っぷりだったそうです。

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高校3年生頃から音楽に興味を持つ

スポーツ万能で、硬式テニス部に所属していた坂井泉水さんは夏の引退後にバンドに参加してみたかったそうですが、空いているバンドがなく、叶いませんでした。

 

卒業後は神奈川県内の短大に進学し、OL生活を経て芸能界入りしました。

そこでは歌に関係ないのキャンペーンガールの仕事。

翌年はレースクイーンやグラビア活動の場を広げるも、本当に望む夢をつかむことは出来ませんでした。

 

仕事の合間にもひたすら詩を書きながら、いつか歌手になるという夢を持ち続けました。

 

そんな彼女の才能に目を付けたのは音楽プロデューサー・長戸大幸さん。

「TUBE」や「B’z」など、人気アーティストを手掛けていました。

 

そして1991年、音楽事務所「ビーイング」に所属し、ZARDのボーカルとしてシングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー。

 

1993年に代表曲「負けないで」が大ヒット。そのほか数々の名曲をリリースしました。

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メディアに出てこない

ヒット曲を連発し、テレビなどにも引っ張りだこと思われますが、坂井泉水さんはメディアになかなか出てきませんでした。

 

原因の一つとして、ある歌番組の共演者に「綺麗」と何度も言われて、テレビが嫌いになったようです。

ミスコン優勝やレースクイーン、グラビアなどの仕事を経ても、”綺麗”や”美人”と言われる事が嫌だった。意外な一面です。

 

また、自宅も郊外の町田市に一戸建てを新築し、町内会などにも入らず、閉鎖的な様子だったそうです。

 

PVやCDジャケットのほとんどが視線をそらしたり、横を向いているのは、そんな所が表れているのかもしれません。

 

 

訪れる突然の訃報

坂井泉水さんは2006年6月に「子宮頸がん」を患い、全摘出手術を受けて回復に向かうも、がん細胞が肺に転移。2007年4月から入退院を繰り返していました。

東京・信濃町の慶応義塾大学病院で、日課としていた散歩のコースであった非常階段。

 

そして、2007年5月26日午前5時42分頃、その付近で大量の血を流して倒れているところを発見されました。

 

階段はスロープ状になっていて、高さ約3メートルの手すり部分に手の跡が残っていたことから、腰を掛けてそのまま後方に転落し後頭部を強打した事故との見方になっています。

救急病棟に運ばれるも、翌27日の午後3時すぎに脳挫傷のために亡くなられました。

 

 

自殺か事故かという議論が繰り返されるも、未だ真相は分からないまま。

でも坂井泉水さんが悔いなく人生を全う出来たなら、個人的にはどちらでもいいと思います。

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